2012年4月16日〜30日
4月16日  ラインハルト 〔ラインハルト〕

 可能性の3が思いつかず、おれはベッドに寝転がった。

(ウォルフに聞けば、こんなのすぐ教えてくれるんだろうになあ)

 つい電話を見てしまう。ウォルフからの着信はない。
 こっちからかけないうちは、かけない気だ。くそったれ。

 おれはシーツにくるまり、ぼんやりした。眠れなかった。何も考えられず、ただ不安で気が沈んだ。
 クリスにはああいったが、人間の心は変わる。約束や決心などころころ変わる。

(うう、やめよ。イアンだ)

 おれはイアンに電話した。


4月17日 ラインハルト 〔ラインハルト〕
 
 イアンは寝ていたらしい。目をしょぼしょぼさせていたが、おれを中に入れてくれた。

 彼はウイスキーを出し、おれにしゃべらせた。おれはタイ旅行がダメになったくだりを話した。

「前もなんだ。前も旅行の時に、ママが死ぬとかいいだして。あの女、おれとウォルフの邪魔ばっかりするんだ」

 イアンは目をしばたいた。

「二度だけじゃないのか」

「旅行は二度だけだけど、ウォルフが女と結婚したのは、母親を喜ばせたかったからなんだよ!」

 言ったとたん、にがいものがこみあげた。


4月18日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 そう言ってしまったのだ。ウォルフに。

『あんたはいつまで、ママのいい子になりたがってんだ? そんなもんはもう破綻したんだ。あんたは男が好きで、裏社会の人間で、ママのお気に入りじゃないんだ。むこうは許さない。もうあきらめろよ!』

 あの時、ウォルフの目が揺れた。彼のからだの芯が凍ったのがわかった。触れられたくない部分だったのだ。

(おれはどうしてこう見境なしなんだ――)

 ウイスキーをあおると、イアンがぼそっと言った。

「タイ旅行、ふいになったのか。がっかりするよな」


4月19日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 すでに酔っ払っていたのだろう。おれはそのひと言で、ガキみたいにぽろぽろ涙を落とした。
 イアンがよこしたタオルを顔におしつけてしゃくりあげた。

 まったくいくつになるんだ、おれは。いつになったら成熟した大人になるんだ? 

 だが、ひとしきり泣くとようやく気がすんだ。ずっとくやしく悶えていたものが、安らいだ感じだ。

「帰る」

 おれは立ち上がった。

「スイスに電話するよ。ごちそうさま」イ

 アンは眠そうに笑った。

「次来るときな。二時前にしてくれな」


4月20日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 ウォルフはしわがれた寝声だった。
 おれは殴ったことを詫びた。言うべきではないことを言ったことも詫びた。ウォルフはしばらく黙っていたが、「もういいよ」と言った。

「もう寝よう」

「いや、もうひとつあるんだ」

 心臓が耳元でひどく脈打つのが聞こえる。受話器を握る手から汗が吹き出していた。

「じつは」

 声が裏返りそうだった。

「けっこん、指輪」

 ぬすまれたと言おうとした時だった。ウォルフが言った。

「あれ、こっち持ってきた。サイズなおしてるんだ」


4月21日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 翌日、おれはデクリアの全員に殴られた。

「この、人騒がせが!」

「ウォルフにいえよ!」

 おれはわめいた。

「あいつが勝手に、抜き取ってたんだから!」

 アキラが目を剥く。

「抜き取られた鎖だけ持ち歩いて、気づかなかったのは誰だ!」

 面目ない。まったくそのとおりだ。おれは鎖だけ家から持ち出し、気づかぬままデスクにしまったらしいのだ。かなしいことに、うっすらそんな覚えがあった。

 クリスが晴れ晴れという。

「でも、おまえの件が片付いたんで、あっちもわかった。指輪泥を追い詰めよう」


4月22日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 クリスが訪ねたのは、女装のモレーニ男爵のドムスだった。彼はフェルナンに言った。

「ドッグマーケットで聞いたよ。ずいぶんたくさんのアイスクリームを買ったようだね」

 フェルナンの顔がみるみる蒼ざめた。彼は崩れるように息をついた。

「――ぼくです。ぼくがやりました」

 モレーニ男爵の眉が強くしかめられた。クリスは静かに言った。

「いや、きみにはできないね。きみがやったのは、二階の飾り台を倒して派手な音をたてたことぐらいだ。その音でご主人様を守ろうとしたんだ」


4月23日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「いいえ!」とフェルナンは強く言った。だが、男爵は大きく眉をつりあげ、ひょうきんな表情を作った。

「幕だな。真犯人みずからが告白しよう。だが、その前にフェルナンはいったい何をやってくれたんだね」

「ドライアイスですよ」

 クリスは言った。フェルナンはドライアイスを大量に持ち込んでいた。それを家具の足の下にしき、ほかの足の下には別のものをおいたのだろう。ドライアイスが小さくなり、飾り台が倒れ、派手な騒ぎが生じた。


4月24日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「泥棒が入ったかもしれないというのに、ずいぶん無鉄砲に飛び込んだな、と思ったんですが、まあ、そういう性分のやつはいますから、疑うには及びません。

でも、直後に駆けつけたハスターティは何も見つけられなかったというので、ひっかかったんですよ。彼は割れた花瓶の破片を投げたといったんですからね」

 実際に投げたのは、溶け残っていたドライアイスだった。それゆえ、ハスターティは何も見つけられなかった。

「彼の手荒れは焼けどのあとだと気づいたんです」


4月25日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 クリスは涼しげに続けた。

「この犬はウソをついている。しかし、犬がよそのお宅に入った形跡はないことは証明されている。では、なぜウソを?」

 ふふっと男爵が笑った。

「よろしい。あとはわたしだ。まあ、べつに深い動機はないのさ。ちょっとしたいたずら心。あの三人は顔を隠してドムス・ロセにかようシャイ・ボーイでね。からかってやりたかったのさ」

 男爵は車椅子から飛び上がるように立った。

「昔、ロッククライミングでヨーロッパ中の山を登ったよ。壁を登るのはわりと得意なんだ」


4月26日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 男爵はマッチョぶったマゾ客を片腹いたく思っていた。
 仲間うちでは犬を侍らせてみせ、夜は仮面の影で男たちに嬲られてよがる。そんな半端者たちを、からかってやろうと思った。

「あのビーズの指輪で何をするか知ってるかい?」

 男爵はせせら笑った。

「あのひよわな犬の指に嵌めさせ、ケツの穴をほじってもらうんだよ」

 ボブから盗んだのは指輪と指輪架けだ。指輪架けの神像はボブの気に入りのディルドだという。

「あのチャイナの木箱にあったのは、女性ホルモンの錠剤というわけさ」


4月27日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 化粧を落とし、ドレスを脱いだ男爵は、小柄だったが、シャープなからだつきをした、知的なハンサムだった。

「まあ、遊びがすぎたね。追放は覚悟の上だ。それとも、死刑になっちゃうのかな」

 ご主人様、とフェルナンが抱きついた。男爵は冷笑的な表情をやわらげ、青年の背を抱いた。

「バカな子だね。わたしなんぞを心配するなんて。しかもとんだドジを踏んで。だが、愛してるよ。おまえはこれで自由だ」

 そのあごをとり、口づけると、フェルナンは泣き崩れた。


4月28日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 指輪はCFの屋上から出てきた。マラソンコースの植物の根元に、フェルナンが埋めて隠しておいたのだ。騒ぎをやる前に、指輪はすでに移動されていた。

「ハッラーラが自慢していたビーズの指輪が、ご主人様の寝室にあるのを見て、ぼくは仰天しました。そして、噂の空き巣が誰なのか知りました」

 彼はボブの黒人犬キャンディが『自分の主人が、犯人を目撃した』というのを聞いて、いてもたってもいられなくなった。盗品を盗んだのは、主人への警告の意味もあった。思いとどまらせたかったのだ。


4月29日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 ウォルフがスイスから帰ってきた。ろくに話すヒマもなく、彼は、男爵の処分を決める会議に出席した。

 結果、モレーニ男爵は5年の会員権剥奪。フェルナンには特にとがめはなし。

「被害者側もうるさく言い立てなかったし、つまりはイタズラだからな」

 飯を食いながら、ウォルフは話した。

「五年か。甘いな」

「上客には甘い」

 それと、と彼はさりげなく包みを出した。おれはぐっとつまった。

「これのために、おれがどんなに苦悩したか、わかってんの?!」

 おれは手を突き出した。「嵌めてくれ!」


4月30日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 その晩はひさびさに甘い夜を過ごした。
 互いに、いさかいの埋め合わせしようと愛情をたくさん持ち寄って、愛し合った。くたくたになった。
 だが、幸せすぎて眠れなかった。ウォルフもずっと起きていた。

「もう、スイスにはいかないよ」

 夜中、彼が唐突に言った。

「なんで。行けよ」

「母さん、再婚する」

 おれはおどろいてふりかえった。ウォルフの影は笑っているようだった。

「もうおれが面倒見なくてもいいんだ。預けるよ、旦那に」

 彼はおれを引き寄せ、抱きしめた。

「今度の秋、タイに行こう」


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